過去のエッセイ2

サンタさんへの手紙
 クリスマスの子供へのプレゼントは、パパとママが「サンタさんにプレゼントを持ってきてもらえるようお願いする」というかたちで、事前にほしいものを聞き出し、25日の朝に枕元へプレゼントを置いておく。子供は3月31日生まれの小学2年の女の子。まだまだサンタクロースを信じることのできる年令だ。
 
 子供の喜ぶ姿を思い浮かべながら、今回も例年通り枕元にプレゼント(占いのできるゲーム)を置こうとした刹那、一通の手紙が目に入った。

サンタさんへ
「おもちゃのパソコン」
プレゼントかえちゃって(変えちゃって)ごめんなさい。
おねがいだから おもちゃのパソコンください。
「おもちゃのパソコン」
(原文通り)
      

「土壇場キャンセル」の手紙だった。
子供はまだ眠っている。
僕が家をでるまで、子供はぐっすり眠っていた。
私の好きな秋
泣き濡れて、秋の女(おみな)よ
わが幻のなかに来る、
泣き濡れた秋の女(おみな)を
時雨(しぐれ)だとわたしは思ふ、

佐藤春夫詩集より

■秋の歌(詩)とフォト
小柴氏(物理) 田中氏(化学)二人のノーベル賞 同時受賞おめでとうございます。

 田中耕一氏の受賞で思った。なんと欲のない方だ。大好きな研究ができないからと昇進試験も受けずひたすら研究に没頭していると聞く。それが最高に幸せと聞く。テレビのインタビューを見ていると、その話のイメージ通りの方だ。今回の受賞をめぐるいろいろのニュースを見ていて、心温まる、何かホットした気持ちになったのは、私だけではあるまい。しかしこれって、もしかして「幸福論」なる少しの科学性と哲学性をこめた解釈をした場合の「最も幸せの法則に従っている人」なのかもしれない。もちろん幸福論は星の数ほどあるから、この表現は完全におかしい。要するにこれは私、いや多くの方が心の奥底に持っている願望なのだ。どうか今のままでいていただきたい。外界が大きく変わるだろうが、どうか引きずられないでほしい。それが私に本当の夢を与えてくれる。            M、M



♪♪♪「夏川りみ」のCD「てぃだ」を買った。実はポピュラーと称されるCDを買ったのは数年ぶりだ。めったに買わないCD。それもたまに買うときは、ほとんどがクラシックに限られているのだが、今回は最近テレビ・コマーシャルから流れる、あの「涙そうそう」の歌声に魅せられどうしても欲しくなったのだ。無駄のない声帯の先端が優しく震えるような声の響き、そして美しいフレージングをともなった歌声ときたら、いっぺんでファンになってしまった。沖縄のかおりが小さなフレーズの中にここぞとばかりにあふれ出す。きわめて心地よい。このCDの中にあの有名な「島唄」も納められている。、偶然だが、私はちょうど「島唄」のオリジナルバージョンの楽譜をもとに音取りをして正確に歌えるようになっていた。しかし聞いてみると自分とは表現力が違う。一所懸命楽譜から覚えたのだが、がっかりしてしまった。
 このCDともかくお奨めだ。感性あふれる歌声を聞きながら、沖縄情緒に浸るのはすこぶる楽しい。
    (安里屋ユンタは絶品)
                                    ♪♪♪



 弊社の建材部のパソコンを壊してしまった。パソコンの内部の環境作りをしているうちにウインドウズの大事なシステムファイルを削除してしまったのだ。もちろん今までにこのような経験は何度もある。その気になれば復旧はできるのだが、起動ファイルは作っていない、リカバリーファイルは行方不明、おまけにウィンドウズのバージョンが古く、ソフトがない。時代に取り残されたパソコンなのだ。これではどうにもならない。悪いことに、うちの営業マンが書類をすぐに作成して、送らねばならない状況なのだ。さすがに血の気がひいた。そうだ!機械が壊れたことにしよう。会社にはうそを言えばいい。そしてすぐに買いに行こう。2時間で全てやってしまおう。ということで、すぐに買いに行った。でもさすがだ。買い物も含め、インストール、環境設定を含め本当に2時間で完成させてしまった。おまけに新製品のページプリンターも買って取
り付けた。弊社の委員のT、Mが全面協力してくれた。
 その後、僕の功績によりパソコン、プリンターが新しくなり、皆から感謝された。物を壊してほめられたのは、これがはじめてだ。だがうちのT、Mだけは、あたらしいパソコンが欲しくてわざと壊したと疑っている。
そして渋い顔しているのは、うちの社長だ。



まだまだ暑い毎日。でも朝晩どこかひんやりする風が混じるようになった。これからは、大陸の空気と太平洋の空気とのせめぎ合いが始まる。大陸の空気は押し戻されつつも、徐々に勝利を収め、私の好きな秋が始まる。よし!こだわりやさんをもっと充実させるぞ!!


「千と千尋の神隠し」のビデオを買った。ママと娘二人はすでに映画を見ている。
私たちは、物語の脚本、そして映画の主な登場人物の会話・行動の中に、監督の人生における重要な、示唆に富んだ、シグナルを受け取るが、それは各自受け取り方が違ってくるだろう。とりあえず決めつけないでおこう。それよりも圧倒的に魅せられたことは、 「奇妙な食べ物屋ばかりの通り」そこに多くつるされている提灯。 「油屋」(お風呂屋)の美しい極彩色。 千尋とカオナシが乗った銀河鉄道のような電車んのシーン。水面の青さ。・・・・これらだ。これらは大人のおもちゃ箱だ。思い・郷愁・夢・詩・あこがれ・青春・・・全てを含んでいる。それらが私の心にいつまでも切ないような余韻を残す。青春の抒情詩だ。いや大人のための童話だ。全国のおとうさん、おかあさん。見てない方がおありなら、ぜひお奨めする。これを見なければもったいない!!



僕は家族水入らずで泊まりがけの旅行をしたことがない。ちょっと不思議に思うかもしれないが本当のことだ。だからせめてお盆の時に2泊3日の旅行を、ということで、予約を早めにしようと旅行会社に出向いた。そしてパンフレット調べてみた。「なんだ これは!!」「ムッ!高すぎる」。家族4人で行ったら大変なことになる。僕はかなり世間知らずなのだ。盆は旅費が相当高いと後で会社の同僚に教わった。ということで7月前半に実行、それも一泊ということで、計画を大幅に縮小し、近場の温泉地へ行くことにした。でもちょっと高級の宿を選択した。僕が一番ウキウキしている。これで子供への言い訳にしよう。夏休み中ではないがよく覚えておかせて、無理に夏休み絵日記の題材にさせよう。






僕はおしゃれでない。だいたい綺麗に着飾るのは女性の専売特許だという古い封建的な考えの持ち主だ。これは本当のことだが生まれてこの方自分一人で服を買った記憶が一度もない。今でも必要に迫られて買うときは、うちの女房についてきてもらう。その他はもちろん全て買ってきてもらう。頭は洗髪するとき以外は櫛を入れることがない。整髪料などつけたことがない。こんな話をすると不潔な奴とお思
いだろうが、一応身なりは清潔と思う。ともかく「おしゃれ」というものに気を使えないのだ。自分の着る服には自分の自我がまるっきり入っていない。否、女房が選んだものに対して「そんなの恥ずかしくて着れない!」という消極的・否定的な意見が入っているので一応僕のセンスは入っているようだ。でも、案外こういう人が客観的に「美」とか「おしゃれ」とか「センス」が分かるものだ。.....まあ  そんなことあるわけないか!?



東京は例年になく春が来るのがはやい。桜前線が下りてくるのもかなりはやいと今日の天気予報で言っていた。暖かさで火照ってくる頭や暖かさに導かれて外界が華やいでくる様子を見るにつけ、な
にか情緒不安定になってくる。どうもこの感じが嫌いだ。なにか眠りたくなってくるのに仕事をしなくてはいけない落差が嫌いだ。桜を眺めたいのに見るのがめんどくさいジレンマが嫌いだ。ならいっそ寒い方がいい。これってきっと春という季節が勝手気ままに行動したくなる季節だからだろうか?



知り合いのコンピュータープログラマー(オフコン関係の方)が私に強い口調で話してくれた。「パソコンの設計思想は、『性善説』(人間は生まれながらに善であるということ)に基づいて設計されている。それはもともと善良な市民が、社会に役立つとシステムとして設計されている。だから外からの悪意のある『ウィルス』などの脅威に対してあまりにも脆い」と。
 今回弊社は、チェーンメールの恐怖にさらされた。セキュリティーに関しては、相当に気を遣っており、感染などあり得ないと思っていても、多くの不審なメールを受け取ってしまい、自信が揺らぎ、感染したものと一時思いこんでしまった。安全を期して、システムを止めチェツクを厳重に行ったところ、感染は全くないことが判明し、業務を再開した。正直恐ろしかった。今回は、セキュリティーに関する危機管理の再確認を行った。ショップのセキュリティーに関する義務はあまりにも大きいと今回再認識した。
 今回どういう事件に巻き込まれたかというと、ウィルスに感染した添付付きメールを受け取った、あるショップが、発注の方法の確認の為のメールをウィルスに罹った先へ返信してしまい、それがメーリングリストにつながるメールアドレスであった為、多方面にまわってしまった、というものだった。さらに受け取った他のショップもウイルスに感染しているという善意の忠告の返信メールを送ってしまい、それもまわってしま
った。それが連鎖的に発生した。このメーリングリストは、公共性の高い商業関係のものであつた。その中に弊社のアドレスもあったのだ。うちだけでなく相当数のショップが受け取っていると思われる。「ウイルスにかかっています。」という文面が一人歩きを始め、それを受け取った者は、肝を冷やす。私がそうだった。
 悲しいがウィルスは、これからより警戒しなくてはいけなくなるだろう。残念だが『性善説』は通用しない。自らの身は自らで守らなくてはいけない。

みなさまもウィルス対策をぜひ行ってください。いいソフトも出ていますし、雑誌にもわかりやすく載っています。またネットにもいろいろなページがございます。


※今もっとも被害を与えているウイルスは、『バッドトランス.B』。 メールをプレビューしただけで感染し、メールの大量送信やキーボード操作の記録などを行う。昨年後半から猛威をふるっている。(リクルートPC相談室より)



こだわりやさんでは、ケトルとして「鉄瓶」を展示、販売しております。これも最初はちょっと古くさいし、若い方には?という思いで躊躇しておりました。しかし勉強していくうちに、お湯を美味しくする特性、鉄分の補給などかなり優れていることを知り、展示することに決めました。実際思っていたより反応がありまして、若い方にも、興味を持っていただけることが分かりました。またヨーロッパなどからの引き合いが大変多いと聞きました。灯台もと暗しというか、かえって遠くの方の方が興味を抱くものなのか?、それより異国情緒によるものかもしれませんが。
 最近鉄瓶を見ていると心がなごむというか、落ち着きます。それで最近メーカーさんに電話をいれ「鉄瓶って 癒し系ですね」と伝えたのです。そういうわけでなんだか鉄瓶を展示してから後になってたいそう好きになってしまったのです。
 現在弊社で展示している鉄瓶は、人気の高い、飽きのこない、比較的お求めやすい商品です。しかし今回は志向を変えまして、違うタイプの「鉄瓶」を展示いたします。(お買い求めもできます)
私は、この鉄瓶の「美しさ」「造形美」に一目惚れしまして、どうしても展示したくなった品です。
ぜひこの鉄瓶を一度ご覧くださいませ。 




会社の人間が私に、ある新聞の切り抜きを持ってきてくれた。その記事は朝日新聞の夕刊に掲載された吉田 秀和さんの音楽展望「小澤 征爾のニューイヤー・コンサート」だった。僕は、日本人の評論家と日本人の演奏家の関係とはいえ、評論の対象者に対してこれほど好意に満ちた評論を読んだことがない。6段にも及ぶ長い評論だが、そのすべての文章が小澤征爾を讃えていた。
 小澤指揮するウイーン・フィルの演奏は家族全員で、もちろんテレビで見た。毎年恒例として見て(聴いて)いるが、この演奏会は、全世界の指揮者にとっての最高の名誉であり、その場で日本人の指揮者が振るということで、いつになく興奮して見た。そして例年になく演奏会が盛り上がり、温かい雰囲気に満ち満ちていることがはっきりと画面を通して感じられた。ウイーン・フィルの楽員の楽しそうな姿をみて自分も嬉しくなった。そして聴衆と演奏家と指揮者の一体感の中に自分も引きずられていく気がした。吉田 秀和さんは新聞にこう書いておられる。「小澤の言葉を借りれば『西洋音楽を入れて日の浅い日本からきた』小澤が血の中にシュトラウスのリズムの流れているはずのウイーンの人たちにできない芸当をやってのけた。」と。

「小澤征爾っていい顔をしている!」と家族のものが言った。

僕は、小澤 征爾の指揮する姿を見て、日本人であることを誇りに思った。



最近は蕎麦屋へよく行く。蕎麦屋へ行くのは蕎麦を食うよりお酒を飲みに行く方が圧倒的に多い。酒の肴が旨いことそして安いこと、蕎麦屋の風情が好きなことが理由だ。そしてよく行く店はさらに女将さんの愛想がいいのが最高だ。また蕎麦屋に置いてある酒は、総じてうまい。酒を飲んだ後は、よく冷えた「もりそば」か、何も入っていない「かけそば」を食う。最後はあっさりと汁が濁っていない蕎麦を食うのがいい。蕎麦屋で酒を飲むときは、結構、粋に振る舞いたくなる。いい酒飲みを若干自分自身演出する傾向がある。(僕は東京の下町育ちだが2代目なので、確か江戸っ子ではないと思う。)
 
最近「蕎麦屋のしきたり」(藤村 和夫著 NHK出版)を読んだ。この方は「有楽町・更科 4代目」の方だ。蕎麦に関するうんちくが楽しい。好きな方は、是非一読を。その中で「蕎麦屋の暖簾」の分布の記載があったのでご紹介したい。

昭和50年蕎麦屋の組合の名簿と東京の電話帳からの「蕎麦屋の暖簾」がどんな分布になっているかの勘定。
1位 「やぶ」の付く暖簾。約300件  2位 「更科」160件  3位 「長寿」  
4位 「大むら」  5位 「満留賀」  6位 「朝日」 と 「松月」  8位 「増田屋」
9位 「浅野屋」 10位 「尾張屋」 11位 「砂場」

「砂場」が少ない理由は暖簾が早くから「登録商標」にされていたからです。


この暖簾は東京を中心にしたものか、全国的なものか私にはよくわからない。この蕎麦屋の暖簾にはなにかとっても親近感がわく。子供の頃から見慣れているからか。



冬なにが厭かといえば、それは絶対静電気だ。あの突発的にくる、一瞬の痛みと不意打ちは、ともかく恐ろしい。車など電気の逃げにくい所に長くいるときなどは、降りるときに効くのか効かないのか解らないが、地面に一度手を付く。ステンのドアのノブに触れるときは、指の先が触れないように注意する。
またその前に近くの水分の含んだ葉っぱなどに触れる。服には静電気の発生を押さえるスプレーを毎日かける。本当に僕は、静電気に神経質だ。もしかして静電気を貯めやすい体質なのか。
  どなたか 静電気が発生しない、また上手に逃がすいい方法をご存じありませんか?



 「勉強ができる」ってどういうことだろう。と最近よく考える。まず勉強ができるとは、学校の成績がいいということだろう。それには試験の問を解答できる情報量を持っていなくてはいけない。数学にしたって論理的思考ができる前に「公式」を知らなければ話にならない。だからそのために多くのことを記憶しなくてはいけない。記憶するということは大変だ。歴史を例にとると、何年に 何の事件が起きた。そしてその事件を漢字で書かなければいけない。これは振り返って思うにかなり難儀なことだ。しかし覚えなくてはいけない。正確に多くのことを覚えれば当然試験の成績がよくなる確率は高まる。しかしなかなか覚えられないのだ。頭がもっと良ければとつぶやいてしまう時だ。
 
ところで頭が良い人とは、どういう人とだろう。それは、やはり「記憶力」がいいというのが大きな比重を占める。間違いなく他の人と同じ力配分で、人の数倍の記憶をしてしまう。あまり努力しなくても対象を記憶してしまう。これには参ってしまう。しかしこういう人の多くに、ある特徴をみる。それは「努力できる人」ではないかということだ。一般的な努力家とは違う。勉強を例に取っても、その繰り返しはあきるものだ。努力とはその「あきる」ことへの戦いができる人なのだ。「あきる」ことに辛抱できるひと、持続力なある人だ。かっこよくいえば「集中力」のある人、自分をコントロールできる人だ。だから頭の良い人は、ダブルで普通の人を勉強で引き離してしまう。
 僕は間違いなく記憶力が人より劣っている。そして仕事でも事務処理など間違いなく集中力を欠く。
そして頭から過去のデーターがすぐに引き出せない。だから仕事でロスタイムを生じ、生産性が落ちる事態がまま発生する。これは優秀な人と仕事をするとはっきりわかる。やはり記憶力は良い方がいい。 しかし、でもだ、僕にも優秀な面がある。それは誰よりも「童謡や唱歌」を知っているのだ。これだって記憶だ。特別記憶しょうと思った訳でない。また覚えようとしなくても頭に入ってしまうのだ。これはどう考えればいいのだろう。   もしかしてほんとうは僕 頭がいいのだろうか? 否 勉強を少しでも好きになることかなぁ?
少なくとあまりイヤだと思わない事かなぁ?
 
                                             M、M



あっ 大変 正月 コンピュたーが壊れてしまった!!
EC事業部の会社のコンピュターではなくて僕のコンピュターが壊れてしまった。このコンピュターは、別の事業所にいるとき、家にいるとき、もちろん本拠地にいるときなど、ともかく会社のメインのパソコンよりも大活躍している超大事な僕の相棒なのだ。メーカーに問い合わせたところ、ハードの故障だろうとのことで、早くても自分で持ち込んで1週間から10日はかかるとのこと。こういう事態が再度起こることも想定して、意を決してもう一台購入することに決めた。(もっとも僕は10台以上パソコン購入しているが....色が付いていない時から使っている。)出費も痛いが、一番困ることは、パソコンの設定だ。ホームページを作る道具(ソフト)だけで、数十種類必要だ。文章、構成、画像、写真、ワープロ.....。メールの設定も相当時間がかかる。本来ならば楽しい筈のセッティングも、仕事のことを考えると落ち込んでしまった。古いままのパソコンを使っていたかった。しかしだ、今回新しいパソコンを使ってみて驚いた。恐ろしい進歩を遂げている。なんだこれは。スピード、画像、新種のソフト、まるで違う。装置も違う。正直いうと僕は、真っ黒い画面にC言語(これがやたら難しい)とかいう道具を使い、自分でソフトを作っていたりしていた、古典的タイプだ。だからネットとかメールというツールの扱いは、比較的経験が浅く、上手でない。パソコンは、過去の方が数段難しかった。しかし基本積み上げることによりどんどん上達できた。しかし今は違う。一見簡単になったようで、その代わり情報量が、すさまじく増えてしまった。また機能・ハードの向上が、極めて早くなった。沢山のことを覚えこまなくてはいけなくなったのだ。
 今回のパソコンは解像度が高く、今までのパソコンで見るのと、自分のホームページの見え方がだいぶ違う。これには閉口した。プラウザの違いによる見え方も想定において製作したが、また違う見え方があるのだ。
ああ もう少し進歩を遅らせて!! そう強く思った正月だった。ということでホームページの更新の準備ができなかった。



                                           M,M
 ♪♪♪♪♪ 
BEETHOVEN An die Freude
 今ここにベートーベンの「第九 合唱」のスコアがある。別に第九の合唱に参加する為ではなく、ただ何となく購入した。(もっとも楽譜をみて、とても僕の能力で歌えるものでないことを認識したのだが。)また演奏会には数回おもむいた。一番最近行った演奏会は、ちょっと酷かった。確かシューベルトの前奏曲と第九が抱き合わせのプログラムになっていたと思ったが、第九の演奏時間が長いのを忘れていた。演奏会の直前に酒を飲み過ぎて、その上前奏曲が短いので全く休憩時間がなく、トイレに行きたくて音楽をろくに聴けなかった。音楽を聴く姿勢最低。きっと音楽より酒を愛しているのだろう。ちょっと横道にそれたが第九の好きなところといえば(どの楽章もすばらしいが)第3楽章、すこぶる甘美で叙情的だ。純粋で美しい。高貴だ。静けさがとても第4楽章への移行を想像できない。だから良いのだろう。そして息を抜かず間合いなしで、激しいティンパニーの音とともに第4楽章へ。あの有名な歓喜のテーマーは流れるも、何度も不安のテーマにかき消されていく。相互のせめぎ合いの中でいつしかあの喜びの歌のテーマーがだんだん浮かび上がっていく。そして激しいティンパニーの音とともにバリトンのソロ「O Freunde, nichit diese Toene! 」。もう最高潮だ。分かっていても感動する。勧善懲悪的、日本的だ。バスバリトンが歌うこのソロだが、バス(男の低い声)にしてはかなり高い音を、頭から出さなくてはいけない。大変な緊張だ。失敗した人もいるだろうな。でもかっこいい!私は、サッカーが好きだが、どんな最高のプレーよりも堂々とした立ち姿のやや斜め前方を見据えた声楽家のソリストの姿がかっこいい!そしてテノールのマーチ風のテーマのソロへ。歓喜の合唱へ.........                      暮れは、絶対見なければいけないテレビ番組は、この「第九」とそしてNHK紅白歌合戦だ。
                                                  ♪♪♪♪♪



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