過去のエッセイ6

名曲「武蔵野の雨」そして「平林寺」
■名曲「武蔵野の雨」そして「平林寺」
男声合唱組曲「雨」   作詩  大木惇夫   作曲  多田武彦
  「武蔵野の雨」
群鳥(むらどり)を追いながら
どの土地を濡らしにゆく

月の夜ごろを掠(かす)める雨
櫟(くぬぎ)の匂いのぷんとする雨
武蔵野の雨



息子の部屋
普段は入ることのない、息子の部屋に入った。部屋はきれいにかたづけられていて、男の子らしいあの乱雑な部屋の面影はまったくなくなっていた。そして捨てることを躊躇した本や小さな家電製品がひとかたまりにされて、何ヶ所かに分けられ置かれていた。部屋は北向きで少し寒々しく、胞子がまき散らかされているかのような部屋が、きれいに掃除され、生活のにおいがなくなった様子は、寂寥感のただよう不思議な空間だった。
 今日は彼の入社式の日。東京育ちの彼は、なぜだか関西の某メーカーを就職先に選んだ。遠い地へのあこがれのせいかもしれない。またおぼろげながら、徐々に育った穏やかな自立心の発露だったのかもしれない。(その後、彼の最初の赴任先は「博多」となった。)
 息子は小さいときから、サッカー一筋できた。それがどうしたことか、大学に入るや、ジャズバンド(トランペット)を選択した。音楽の素養があるならいざ知らず、2分音符も知らないレベルだ。もちろんシンコペーションも全く分からない。トランペットはドレミが鳴らせる程度。私は3日ほど、音符の読み方を教えた。大学のジャズバンドは、セミプロ。時にプロの登竜門にもなる。・・・一時の気まぐれかぁ。どうみても無理だろう。後が哀れだ・・・・・・・
 彼は来る日も来る日も猛練習に明け暮れた。全く諦めるということを知らなかった。おもちゃのような1万円のトランペットをけなげにも吹き続けた。バンドの合宿ではトランペットを抱いて寝ていると仲間に笑われていたらしい。1週間に一度も息子に会わないことがある。たまに家で遭遇しても、トランペットを離さない。その後、彼はオーディションに受かり、見事レギュラーの座を射止めた。執念が昇華し、それが音楽性として身に付いていくようにも思った。そしておまけにドイツ演奏旅行という幸運の切符がそこに添えられていた。彼の努力には頭が下がった。ある意味彼ほど充実した学生生活を送ったものはいないとさえ僕には思えた。

 彼が東京の我が家から旅立ったのは、私が不在の時。彼には全くなんの言葉もかけていない。一度も「がんばれ」という言葉すらかけていない。もともと僕と息子は会話がないのだ。まあそれでいい。君が音楽を通して謙虚さやひたむきさを学んだことを僕はよく知っている。これから社会の中で迷い、逡巡してしまうことが多々あるだろ。君の経験はそんなときの大事な羅針盤になるだろう。僕はそれを確信している。



基本は大事だよ
 クラシック音楽や美術鑑賞について聞くと、「自分の感性に従い素直に感じればそれでよいのだ。」と世間では、そんなシンプルな答えがよく返ってくる。まるで定理のように言われることもある。しかしそうでもないのだ。音楽で言うならば、音楽理論、作曲者の人生、その時代背景など、知識として備わっているかどうかで、演奏される曲から受ける影響は大きく変化してしまうのだ。それで、より音楽を知ろう・感じようと思い、偉大なる作曲家の伝記などを読んでみる。これは結構おもしろい。偉人を発達心理学的に読むと殊更らおも
しろい。だいたい後世に名を残した人は、相当にユニークな人が多いからだ。しかし楽典はいただけない。何とか音楽理論の出発点を学びたいと思って、本を買い求めるも、難解で途中棄権。
 最近ふとしたことで、中学2年の娘の音楽ドリルなるものが目に入った。ピアノ関連の教本のひとつのようだ。その中身だが、「・・・・下属音、導音を書きなさい」、「・・・属7の和音を・・・」「転調しなさい」・・・なんだ。これは。解読不能。1問も解けない。実技だけでなく、こんな難解なことをしているのか。
 私は、今まじめに思っている。小さい頃、音楽を基礎から学んでいれば(これは言い訳。本気になれば今でも学べるのだ)偉大なる音楽家が送ってくるメッセージをより忠実に受け止められ、より深く味わうこと・理解ができるはずだ。歌だってずっと上手に歌えるようになる。世の中をより愉快に感じさせてくれるはずだ。娘は私より数段、音楽を深く受け止めるられる素地を持っているのだ。しかし、娘は練習嫌い、勉強(音楽の)嫌い。彼女の練習は、まるで時間が過ぎるのを目標にしているかのようだ。クラシック音楽を、積極的に聴こうという姿勢は微塵もない。・・・なんともったいないことだ。
 関ジャニ(セキジャニと読んではいけない。カンジャニと読む。関西ジャニーズのこと)に夢中になること、それはそれでいい。ごく自然のことだ。(たぶん、だれもが通る道なのだ)しかしだ。その熱心さの10%でもいいから、クラシックに目を向けてほしい。そこには深淵なる何かがあるかもしれない。心躍るなにかがあるかもしれない。(否、それはある) それを見つけたい、表現したいと思う時がくる。(くるかもしれない)その時、地味で退屈な練習、勉強がどれほど有益だったかが分かる。後では遅いのだ。基本は大事だよ。後で絶対に役に立つ。・・・押しつけ大好きのパパでした。



北京オリンピック・かんばれ日本柔道!!
 日本の国技、柔道。代表選手の方々は、国の威信、国民の期待を背負い、大変な重圧のもと、戦っている。そしてさらに国際化にともないルール・基準が変化し、日本柔道本来の持ち味を発揮しにくい状況の中、たぶん大きなジレンマとも戦っているように思う。それは「国際化の流れに沿って、腕力とかけひきを駆使したポイント計算の柔道」と、「きれいな立ち姿で、しっかり組合い、1本を取る柔道」の間にいることだ。もちろん後者を最優先して勝てるほど現実は甘くない。1本を狙い、間合いをとったことによる警告が致命傷になることもある。またどんな奇襲が待ちかまえているかわからない。そして攻撃を装ったディフェンス(かけ逃げ?)に惑わされることもある。

 オリンピックに選ばれた柔道の選手の方々は、小さい頃より、、多くの練習、国内での試合を経て、経験をを積み、実績を残して選ばれる。その長い年月の間、意識せずとも柔道の発祥の地としての誇りや、日本柔道の精神を学ぶ。そして武道の精神は今なお息づき、風土として受け継がれているように感じる。それは「美しい柔道」を継承する心でもあるように思う。

 選ばれた強い日本の選手は、海外で国際試合を経験し、自分のスタイル、日本柔道を打ち出すなかで、たぶんその柔道の違い、落差に驚いたに違いない。それはテレビでの柔道解説者の話のはしばしにでてくる。腕力が強く、突飛で、かけひきに長けた外国選手達。コーチ陣は日本柔道にない技、試合運びなどを研究し、日本選手に指導しているだろう。研究される側から、もはや研究する側に廻ったのかもしれない。日本もヨーロッパ型の柔道を指向する必要性に迫られている、否、その傾向が実際でてきているようにも思う。

 実際はなんの効果もあげていないのに、技をかけたふりをして攻勢点を狙い、相手の反則誘うう。わざと倒れ時間稼ぎをする。足取り一辺倒・・・・・・ポイント柔道は優劣の基準を厳格化した?代償として、柔道本来の醍醐味を得る機会を減らした。ポイントに異常に執着した姿が目につくといささか白ける。スポーツだから当然か?そうしたことを思いながら、北京オリンピック代表になれなかった井上康生さんを思い出した。外国人選手と比べると小さく細い。しかし大きな相手の体を跳ね上げるバネとバランス、技はすごい。最後までポイント柔道には組みせず、1本を取る柔道に徹した。彼を応援した人々は最後まで日本柔道を貫いたその姿、「美しい柔道」に惚れていたに違いない。

がんばれ日本柔道!!



いわて発・デザインクラフト展
 弊社は、南部鉄器の岩鋳さんとお付き合いさせていただくようになって、大変岩手県と関わり合い、興味を持つようになり、大変親しみの沸く地となった。今回そういった関係の中で、現在開催中の「いわて発・ユニバーサルデザインクラフト展」を訪問させていただくこととなった。民家を改造したような小さな会場だったが、それがかえってありがたく、岩手県工業技術センターのスタッフの方が丁寧に各製品の説明をしてくださる機会を得て、大変有意義な時間を過ごすことができた。(スタッフの方、ありがとうございました。)

 展示されている製品は、岩手の伝統ある工芸品で、南部鉄器を始めとして、木工品、漆器、磁器などだ。一般的な展示と違う点は、「UD」(ユニバーサルデザイン)を伝統ある工芸品に導入、その製品、試作品が中心となったところだ。伝統ある工法や仕様、材料はあくまでも守りつつ、その中に現代性を融合した、製品が目についた。今後南部鉄器のアイテムの中に採り入れていきたいと思う。(何点かは選定した)また、天然木の木の器も拝見させていただいたので、今後展示を検討させていただきたい。もう一つは、漆器。これは勉強不足で、よく分からない。まずは漆を勉強してみたい。

 伝統を継承することは、大変意義深いことだ。伝統的デザインの中には不変な美しさがある。ただ生活スタイルが大きく変わっていくと、それに合わせたデザイン・仕様が求められる。だからといって、機能だけで
構成されたデザインは、味気ないし、伝統工芸品としての価値が薄れる。今回拝見した製品、南部鉄器に限って言うなら、その相克するテーマーが見事に克服され、伝統と現代の求められる機能が調和し、新たな美しさが生成されているように感じた。歴史の中で生まれる秀逸なデザインは、多分対立するテーマの中から、生まれたものが多いに違いない。そして時を経て、その時のあたらしいデザインは、古典として認知され、不変のデザインの一つとして、伝統カタログの一つに加えられるのだろう。
                                        M,M

私のお正月
 正月はともかくお酒。朝から胸を張ってお酒が飲める。嬉しい。そしてテレビ。面白ければ私の目はテレビに釘付けだし、見る気がなければ無視、少し賑やかなBGMになる。特に正月、続出するバラエティものは、正月気分をいやが上でも盛り上げる。そして2日になると、お待たせ「箱根駅伝」が始まる。しかし今回は少し事情が違う。それは「のだめカンタービレ」の全編再放送が、箱根駅伝と同じく3日を含め、時間帯が重なるのだ。これには困った??イヤ全然。・・・「のだめ」に迷うことなく決定だ。全編通して流れる流麗なクラシック。嫌がれながらも、おもわず家族にその都度、曲目解説をしてしまう。自らの感動とともに、ピアノを弾く中学1年生の娘のモチベーションを少しでも高めたいと、娘を洗脳するような緻密な?セリフを込めるが、聞いてくれているかまったく不明。「のだめ」は笑いあり、涙ありのたぐい希な青春物語。青春の思い出がわき上がってくる。笑い転げてしまうコメディーでありながら、ときおり流れるシリアスな部分がやけに胸を打つ。一時も目が離せない。放映に合わせて、リアルタイムで全編集中の2日のドラマをとても見ることはできないので、ビデオを活用して4日までに見終えた。その時の終わってしまった、何か寂しい喪失感。だが、スペシャルヨーロッパ版が4日、5日にあるのだ。元気復活だ!!

 私は初詣に行った記憶がほとんど無い。今年も予定はない。今年の正月は天気が良い。ぬけるような青い空。おまけに正月で空気がきれいだから、より澄んだ青空だ。3日はおだやかな気候に誘われて、とげぬき地蔵尊で有名な「巣鴨」に行くことにした。この巣鴨、少し無理すれば、我が家から歩いていける距離にある。そ
れでも一度も今まで訪れていない。巣鴨駅の改札を出て、右手を見渡すと、奥に巣鴨の商店街のアーチ型看板が目に入る。駅からほどない距離だ。「巣鴨地蔵通り商店街」に入ると、道路沿いの軒を並べた商店の濃密度に驚かされる。ここはまぎれもない観光地なのだ。話によると「おばちゃんの原宿」と呼ばれているらしい。確かに年配の方が
多い。(もちろん若い方も大勢いる) お店は、和菓子、衣料品、つけもの、佃煮、靴などのお店が多く、どこか歴史を感じさせてくれる下町的心沸き立つ風情だ。露天も多く見受けられる。少し通りを奥にはいると商店街の通り沿いにとげぬき地蔵尊高岩寺がある。境内に入り、ここで予定外のウン十年ぶりの初詣。きっと今年は良いことがある!商店街は相当長く、途中でUターンして、お菓子など買い求め、巣鴨を後にした。

 話は「のだめ」に戻る。最終回。ヨーロッパへの旅立ちが間近な「のだめ」と「千秋」。最後の仲間との演奏会の場面。曲目はベートーヴェンの交響曲7番。指揮をしながら、自然と千秋の目が真っ赤になっていく。その胸中に飛来したものはなんだったのか。演奏者、のだめらの聴衆の表情を交えて、ドラマはエンディングへと向かう。晴々しいとともに、どこか切ない青春小説だ。
偉大なるベートーヴェン7番は、「のだめ」とともに深く記憶に刻まれてしまった。
                                           ウェブマスター

追記:スペシャル版の「のだめカンタービレ」ももちろん家族皆で見ました。
期待通りの良質のドラマをありがとうございました。心より続編をお願い申し上げます。



学校給食
私が学校給食のお世話になったのは、昭和30年代の後半頃からだ。小学生のころは、まだ牛乳ではなく※脱脂粉乳が中心だった。これがえらくまずいといって、多くの子供達は脱脂粉乳のミルクを敬遠した。たしか鼻をつまんで飲んでいる子がいた。私は特別まずいとは思わなかったが、ミルクの話が出ると、暗示にかかっていたか、また皆に合わせ意思表示するのが得策と思い、まずいと同じ意見を述べていたように思う。何はともあれ、給食自体は美味しかった。

 最近、テレビのある番組で学校給食を特集していた。人気のソフト麺、鯨の竜田揚げ、揚げパンが話題に上っていた。ソフト麺。これは給食での発明だそうだ。時間が経っても麺の美味しさを損ねないよう工夫が凝らされている。カレーなどとからめて食べた。子供達の人気メニューだった。たぶん今でも人気メニューとして登場していると思う。鯨の竜田揚げ。当時は安価で栄養価が高いので、度々給食に登場した。子供ながら実に美味に感じた。今では高級品になってしまい、食べる機会はない。揚げパン。これも給食での発明だそうだ。揚げた上にふりかけられた砂糖。それが絶妙にマッチしていた。当時の学校給食については、不満を述べる子が多くいたが、私は、満足していた。家では食べられない多くのメニューもあり、給食が楽しみだった。

 当時の給食で思い出されるのは、先割れスプーンだ。これはスプーンの先が割れていてフォークの役目をした。このスプーン一丁で、スプーン、フォーク、ナイフ、箸、全ての役目を担った。和食であろう洋食であろうこれ1本だ。現在では、子供達に正しい食文化継承できないという理由からか、ほとんど使われていないようだ。使わなくなったことに関しては、まあ最もなことと思う。

 現在では、びっくりするほどメニューが変わった。グラタン、ビーフシチュー、うな重、ケーキそして郷土料理・・・。まるでレストランに行ったようなメニューが加わっている。そして、食器も変わったようだ。陶器がかなり使われているように感じる。箸はあたりまえ。ある地方では一客3万する漆の食器が使われているところもあると聞いた。郷土の伝統工芸にじかに触れることはすばらしい。学校給食は、スタッフの方が、予算を考慮しながら、徹底した安全、健康のバランス追求し、さらに、美味しさ、楽しさにも十分配慮してくれている。特に私の見たテレビでは、安全性においては並々ならぬ注意を払っていた。また子ども達の口に入る、その瞬間を基準にして、仕上がりから配送の時間の経過を調理に反映させて、美味しさを提供しようとする姿勢には、強いプロ意識を感じた。

 現在、娘は中学生1年生になったが、小学校の時分、学校で給食を一緒に食べる会が何度か催された。残念ながら、それには一度も参加できなかった。もっとも参加の意志を表明したら、娘の強烈な拒否権の発動にあい、行く手は間違いなく遮られたことだろう。それはともかく、給食が食べてみたい。昔の安っぽいアルマイトの器がいい。先割れスプーンで味わってみたい。そして料理は今の子供が好んで食べる今風のものでない方がいい。パンとみそ汁、サンマの揚げた物のようなアンバランスものがいい。(当時はかな主食と副食の組み合わせがアンバランスだった。そしてご飯ものはなかった。)
どんな豪華なランチより、学校給食が食べたい。

※牛乳から乳脂肪分を除去し粉にしたもの。それを溶いて牛乳にした。


ここに当時の学校給食で使われていたと思われる(現在でも使われていると思います)アルマイトの器の画像を掲載してみました。また先割れスプーンも一緒に掲載しました。
▲学校給食の食器達



▲こだわりやさん生活倶楽部へ ▲TOPページ