小石川後楽園

 ゴールデンウイークはいつも東京都心を散策するのが恒例になっている。本日は夕刻に神楽坂で家族と待ち合わせがある。せっかくなので、私はかなり早めに、神楽坂に向かい、待ち合わせの時間までに、近くを散策することにした。目的地は小石川後楽園。小石川後楽園は文京区、神楽坂は新宿区だが、歩いてすぐの距離にある。
 小石川後楽園は日本の代表的名園だ。名園の割にはあまり知られていないような気がする。それは「後楽園」が東京ドームや遊園地の派手さの影に隠れてしまっているからかもしれない。後楽園というとどうしても後楽園球場(東京ドーム)、後楽園遊園地(東京ドームシティ アトラクションズ)を想起してしまう。地下鉄丸の内線で、池袋から後楽園へ向かい、後楽園駅を降りる手前の右手に、塀に囲まれ、うっそうと繁る森がみえる。ただ、遊園地のアトラクション施設などに目を奪われ、気がつかない人が多いかもしれない。

 後楽園は、特別史跡、特別名勝の二重の指定を受けている数少ない庭園だ。琵琶湖をモチーフにした
 
大きな池を中心に、その回りを散策コースが取り巻く。深い緑とその中を自然にわき出したように流れるせせらぎ。川、滝、渓谷。橋やお堂。そして稲田。それらが見事に溶け込んで調和している。庭園は回遊式で園内を歩いていくと、まるで旅をした気分になる。それも奥深い山を歩いている感じ。この後楽園の造営を最初に手がけたのは、水戸藩の初代藩主、徳川頼房(徳川家康の第11男)。二代藩主の※光圀の代に完成した。この「後楽園」という名だが、次のようなことから名づけられた。
 『光圀は、造成に当たり明の遣臣朱舜水の意見を用い、円月橋、西湖堤など中国の風物を取り入れ、園名も舜水の命名によるなど中国趣味豊かな庭園です。
 後楽園の名は、中国の范仲淹(はんちゅうえん) 「岳陽楼記(がくようろうき)」の「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名づけられました。(パンフレットより抜粋)』


徳川光圀は水戸黄門としてもしられ、名君の誉れ高い為政者だが、どうも諸国を行脚した事実はないようだ。せいぜい水戸藩内か関東地方内に限られていたらしい。光圀は歴史書「大日本史」の編纂に着手。文化事業に力を入れ、評価されているようだが、それが財政悪化をもたらしたともされている。
 
 小石川後楽園を散策して、特に印象に残るのは、奥深い山道を歩いているような気にさせてくれるその造園のあり方だ。日本庭園の多くの木や岩、池は等身大ではなく、凝縮されていて、どこか宇宙的だ。象徴的、抽象的な世界を私たちに提示している。時に、自然そのものである鳥や蝶などの来訪を拒絶する。そういう意味で自然界を象徴しながら、自然そのものではありえない。もちろん後楽園の中にもそうした姿が多くある。しかし山道を思わせるような園路からの景観は、自然の普遍的な美しさをそのまま切り取り、貼り付けた等身大の姿がある。その中では野鳥の鳴き声が似合いとても美しく響く。私たちは自然そのものに手を添えることができる。
 小石川後楽園のおもしろさは(残念でもあるが)、奥深い森が東京の真ん中にあるというそのギャップだ。ギャップというとこの公園の飛び抜けた特徴ではないだろうか。それは東京ドーム、東京ドームホテル、中央大などが隣接して、巨大で現代的な建造物が散策中の何度も大きく目に入ることで、より異質な組み合わせが私たちを惑わせ、そして脳内を刺激してくれる。



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