飲んべいの言い訳

 酒飲みは困ったものだ。何でも言い訳にして酒を飲む。子
供がサッカーの試合で勝ち、いいプレーをした、で飲み、その逆で負けても悔しくて結局飲むのだ。こんなことでいちいち酒を飲んでいては、東京ドームほど飲んでしまうではないか(ちょっと大げさ)。なぜ酒を飲むかと言えば、もちろんうまいからだ。それと楽しくなるからだろうが、そうでなくても私はおしゃべりの方で、酒を飲むと更にひどくなる。評論家になり、うるさい上に、実行もしない計画などの話が始まる。そして絶対に実行されない。(もっとも家の者は、信じていないが。)そして年のせいか、外で飲むと同じぐらい家で飲むのが楽しくなった。しかしまわりはうるさくてしょうがないのだろう。

酒を飲むとき家での料理の注文(ママへのお願い)は、私の場合そんなにうるさくはないのだが、若干の注文をだす。その一つが、「肴は、器に大盛りにしないでくれ。大きめな器に少し盛ってくれ」だ。だがこの注文はまず受け入れられない。粋な料理屋は、みんなそうしてくれると言おうものなら「そういう店に行ったことがないから解らない。連れて行ってくれないから」とか「洗う者のことも考えて」と宣う。しかし風情を愛する私としては、どうせ食するなら美しく、粋にと思うのだ。美しくと言えば彩りがあるが、煮物に青い野菜を彩りに添えてとか、塩からには、柚をちょっと切って乗せると見た目も味も格段に違うとか、やはり結構うるさいのかもしれない。まあ飲んべいの戯言なのだが。 
 しかし私にはたぶんいい面もあると思う。それは料理を作ってくれた事に対する感謝を込めて、料理の感想を結構述べる。けっしてもくもくと黙って食事はしない。美味なときは、「おいしい」を連呼している。そういう話をしながら飲むのも立派な酒の肴になるし。

 家のママ(家内)や子供が実家に行って私が一人取り残されることがある。たまには静かなこともいい、と思うのだが、そう思うのは、いなくなって30分ぐらいまでで、後はもうつまらない。一人でテレビを見て酒を飲んでも全然おいしくない。ちっとも進まない。一人ではおいしくない。そう言えば、お酒って、絶対嫌いな人とは飲まない。よく言う言葉に「あいつとは酒を飲みたい」っていうが、これって大変な誉め言葉と思う。
そう考えると「お酒」ってなんだろうか?
 たいした説明はない。「幸福感増強剤」(ちょつと自分勝手な表現。そして相手も酔ったときの私の言葉に共鳴してると錯覚している)だ。ママは、私と外で食事するとき、お酒を飲むのを嫌う。私がしゃべりすぎ、時々恥ずかしい思いをするそうな。でも確かに高倉健が飲み屋の美しい女将と言葉少なく会話するシーンはかっこいいが、普通の人がやっては、たんなる根暗だ。    

根暗な人と食事をしたら解ります。
飲んべいの欠点など、ささやかなものと......

                              M、M