木を考える

私は、マンションに住んでいます。日当たりがよく冬場はホカホカカーペット以外暖房はいりません。とっても快適です。ただ問題は、結露です。冬場は、床に水が流れていきます。カビも生えました。これはどうみても体に悪いと思うのです。子供のころ住んでいた家はそのようなことはありませんでした。それは、木造だったからです。少しはすきま風が入ったボロい家だったからでしょうが、それだけでしょうか?木造であったなら、木枠がサッシでなく、「木」だったら、結露はおこってないでしょう。
それは、「木」が、自然とともに呼吸しているからでないでしょうか?
気温と共に、湿気と共に「木」は、自律的に活動してるのです。私たちの生活を自然の営みに近づけてくれているのではないでしょうか。  
 「木」は光を乱反射します。均一のおきまりの反射はしません。それは柔らかな凹凸とあいまいな色彩の織りなす模様のせいかもしれません。私たちは、その柔らかな光を本能的に、大好きなのです。安心するのです。「木」の癒し効果のひとつです。 
味噌汁のお椀は、「木」でなくてはいけません。これは断言できます。手に熱く感じないようにという断熱性はもちろんのこと、木は、触れたときの質感とその風合い、そして温度を私の手に程良く伝えてくれます。木の感触は、適度な抵抗と滑らかさで私たちに心地よさを与えてくれます。
「木」には、いろいろな成分があるようです。私は学者でありませんから、詳しいことは、解りませんが、抗菌効果(弊社の扱っている秋田天然杉のお櫃など)があったり森林浴にみるように、人の心を落ち着かせてくれる成分のある「木」もあります。
「鉄器に思う」でも触れましたが、鉄は土に最後は帰ります。「木」もそうです。木は、土に帰り、腐敗して、他の生物を助けます。「木」は有害物質を出しません。自然そのものだからです。環境に優しいのは言うまでもありません。
日本の国土は、世界にも誇れる緑豊かな土地です。日本人は、「木」が大好きです。日本は、もともと「木と紙」の文化の国なのです。おおげさに言えば、遺伝子レベル?で現在に受け継がれているのでは?しかし今建築に見るようにその良さを忘れているのではないでしょうか?
天然木のオモチャが最近見直されています。子供のころから自然の「木」でできたオモチャに触れさせるのは、安全面は当然として、その他に情緒面の安定などいろいろあるのでしょう。
弊社選定委員は、こだわりについて素材のもつ特徴をいろいろ議論しました。鉄もステンレスもまた安全なプラスチックもすばらしい特性があります。(例として プラスチックの加工性ははデザイン的にすばらし造形美を与えてくれます。)「木」が自然に近い存在だから「すばらしい」と即言うつもりはありません。逆に「木」の科学的特性にもう少し目を向け、不便な面、マイナス面(扱いにくい?)また情緒的側面なども捉え「木」というものをもう一度考えてもらいたく思います。
 古びた黒ずんだ むくの一枚板のテーブルの上 冷えた陶器のビャジョッキおいて仲間と騒ぐ 乾杯の歌....    「木」は合うのです。
(ごめんなさい 自分の世界に入ってしまった!)

                                        (M,M)


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