駅 そして東照宮へ 東照宮 日光田母沢御用邸・・・壮麗にして簡素な美

思いでの日光・・・日光田母沢御用邸・・・壮麗にして簡素な美


 泊まった旅館のすぐそばが大正天皇のご静養地日光田母沢御用邸だった。中禅寺湖へ向かう予定だったが途中の車渋滞とまた雨ということもあり、変更しこちらを見学した。雨と渋滞が私に大いに幸いした。予想もしない素晴らしさだった。

 壮大な木造建築。驚くほど手入れがされ、今まさに復活してもそのまま御用邸となりうるリアリティー。日本の伝統、匠の技をいやがうえにも知らしめしてくれる。中には書院造り 数寄屋風京風の様式などが組み合わされ融合し、その中に洋風様式が違和感なく入り込む。まさしく調和の美だ。日本庭園も美しい。見学しながらなにか非現実の世界に引き込まれた。
もう一度、いや何度も訪れたいそんな私の場所になった。


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御車寄
唐破風形式の屋根。
御車寄正面の玉砂利の
敷かれた広いスペース。
簡素な美しさも漂わしている。 拡大
内部の照明のほとんどはシャンデリア。和洋折衷の様式がすばらしい。
蘇る日光田母沢御用邸

 旧日光田母沢御用邸は、1899(明治32)年に大正天皇(当時の皇太子)のご静養地として造営されました。現存する本邸建物は、明治・大正期に建てられた御用邸の中でも最大規模の木造建築物で、その姿から当時の建築技術や伝統文化をかいま見ることができます。

御用邸に見る歴史と伝統
 
 日光田母沢御用邸は、この地にあった民間住宅(小林家別邸)に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部(現在の三階建て部分)を移築し、新たな部分を加えて造営されました。その後の小規模な増改築を経て、大正天皇のご即位後、1918~1920(大正7~9)年にかけて大規模な増改築が行われ、現在の姿になりました。
その結果、田母沢御用邸では、江戸・明治・大正時代の建築技術や、建てられた時代や用途によって異なる、いくつかの建築様式を見ることができます。
また、明治以降の多くの公共建築が石やレンガを用いた洋風様式で建築される中で、木造の利を活かした和風建築で建てられ、その後の近代建物に大きな影響を与えました。
一方で田母沢御用邸は、和風建築の形態にありながら、一部に絨毯やシャンデリアなどを用いた和洋折衷の生活様式が採り入れられています。
明治維新以降の西洋化の中にあって、和風建築の伝統を活かしながら西洋文化との触合を図った建物は、近代和風建築につながる貴重な資料を提供しています。

     日光田母沢御用邸記念公園 次代に伝える技と伝統、そして文化 パンフレットより引用

敷地面積:39,390平米(約11,900坪)
      造営時/107,000平米(32,000坪)
建築規模:106室・4,471平米(1,350坪)

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中庭
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中庭
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御廊下
絨毯が敷きつめられている。
休憩室
天皇家のビデオが放映
されていた。
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襖絵
「美人於芙蓉花遠四藝」
柴田松次郎作
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表御食堂
ガラスにゆがみがあった。
これは当時のものとのこと。
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御玉突所
諸外国の賓客との交遊に
使われた。
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謁見所
天皇陛下公式の謁見の間。
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剣璽の間
皇位の印の剣と勾玉を奉安
する間。
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御寝室とお次の間
大正天皇の御寝室。
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御食堂とお次の間
奥が御食堂。
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御湯殿 
蒸気風呂とのこと。
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畳廊下もみられた。
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中庭
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苔むした美しい庭。
管理事務所の方より

春 4月下旬になると樹齢400年のしだれ桜が花を咲かせます。
すばらしい桜です。ぜひお越し下さい。

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